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富くじ
瀧安寺の富会(とみえ)は、ただ、当せん者にお守りを授けるだけでした。
その後は、次第に金銭と結びつき“富くじ”として町にはんらんするようになりました。そのため徳川幕府は、元禄5年(1692年)禁令を出したほどです。しかし幕府は、その後も寺社にだけは、修復費用調達の一方法として、“富くじ”の発売を許したので、これを天下御免の富くじ“御免富”(ごめんとみ)と呼びました。特に、“江戸の三富”として有名だったのは、谷中の感応寺、目黒の瀧泉寺、それに湯島天神の富くじでした。幕府公認の御免富も、その後天保13年(1842年)の「天保の改革」によって禁止されてしまい、明治になってからも、明治元年(1868年)の「太政官布告」によって、きびしく禁じられました。天保の禁令以来、103年もの長い間、日本では“富くじ”は発売されませんでした。引用 宝くじ協会
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